日本のリア充的クリスマスの考察

今日、リア充というものが非リア充の上にあぐらをかいている。

このヒエラルキーは不変的なものであり、以後も変わることがないであろう。

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今の時期、イルミネーションなるものが街を彩っている。1ヶ月後にクリスマスというビッグイベントがひかえているからだ。あいにく私とは無縁なものだ。私の反対に存在するものがクリスマスと言っても過言ではない。

まず1ヶ月前からクリスマスの準備を始めるなんてはやいんじゃね?と思うのである。いやどう考えてもはやい。

イルミネーションを見ようなんて思うのはリア充に限られる。非リア充がイルミネーションを見ようものなら辺りのリア充達がちらついて死んでしまう。まずイルミネーションが目的になることはない。リア充にとってイルミネーションを見ることはただの口実。一緒に過ごすことが目的なのだ。つまりイルミネーションを本当に心から見たい!と熱望する人はこの世界に1人も存在しない。プロのイルミネーショニスタぐらいだ。プロのイルミネーショニスタとはなんなのかは私にも分からない。

 

クリスマスは恋人と過ごせるか否かで大きく違う。恋人と過ごせる人はリア充としての称号を与えられ非リア充達にでかい顔ができるわけだ。対象的に恋人がおらず過ごせない人は劣等感のあまり自虐に走り

 

「クリスマスバイト入れたわwwwww」

 

的なツイートをしたり

 

「クリスマスは男だけで過ごしまーす!ww」

 

的なツイートをするのだ。そう。非リア充リア充の下に属していることを自覚している。非リア充は奴隷と化しているのだ。

 

この平等であるべきだという風潮がはびこる現代においてこの格差はあまりにもおかしい。おかしすぎる。彼女彼氏の有無でリアルが充実しているかしてないかを判断するなんてありえない。立場を平等にすべきだ。

 

ここまで色々書き連ねてきたが結論を述べようと思う。

 

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                     彼女欲しい!